2008年08月12日
まだまだ暑つ~い・琴南の森




湛える水面は備中地池、後はまんのう町と綾川町の境、城山(じょうやま)428m。
頂上から北へ降りると県道17号線の首切峠に出ます。
この峠名前がすごいのですが、以前は木立が茂りそれはそれは昼間でも薄暗く、
夏でもひんやりとした空気が漂っていました。
「城山と首切峠」何か関係があるのでしょうか。
どなたか名前の由来をご存知でしたら教えてください。
さて、8月9日の活動に参加された皆さま、たいへんお疲れ様でした。
やがて木々の生長も一段落し、森の中にも心地よい風が流れてきます。
森づくりに興味がある方、これからやってみたい方ぜひご一緒にいかがですか。
活動日:毎月第2土曜日 連絡先:090-3183-4952
Posted by woodsかがわ at 00:49│Comments(2)
│森づくり
この記事へのコメント
ときどきお邪魔しています
あるサイトで知ったことなんですが・・ご参考までに
造田城は綾上町と琴南町の町境にある高鉢連山の一峰が城山(標高428.1m)の頂上部が城跡と見られている。造田城城主造田氏は讃岐藤原氏の嫡流として中讃南部に勢力を広げた羽床氏に属し、南北朝の造田佐渡守は後藤、羽床、秋山、脇、有岡、大林とともに羽床7人衆に数えられた勇将である。造田家家系図によれば戦国期に備中守、その子志摩助(島之助)渡及び民部景正が出るが、天正七年(1579)長曽我部元親に屈したとある。その時備中守は奮闘むなしく自刃したが、そこを首切り太尾と言い、城山北麓の西分角ケ内に葬ったと記している。あるいは島之助ともども討死したとも言われている。
造田城居館は首切り峠から県道を下って盆地に入った所が下造田の「備中地」と呼ばれる地区でこの辺りが造田城居館とみられる。
あるサイトで知ったことなんですが・・ご参考までに
造田城は綾上町と琴南町の町境にある高鉢連山の一峰が城山(標高428.1m)の頂上部が城跡と見られている。造田城城主造田氏は讃岐藤原氏の嫡流として中讃南部に勢力を広げた羽床氏に属し、南北朝の造田佐渡守は後藤、羽床、秋山、脇、有岡、大林とともに羽床7人衆に数えられた勇将である。造田家家系図によれば戦国期に備中守、その子志摩助(島之助)渡及び民部景正が出るが、天正七年(1579)長曽我部元親に屈したとある。その時備中守は奮闘むなしく自刃したが、そこを首切り太尾と言い、城山北麓の西分角ケ内に葬ったと記している。あるいは島之助ともども討死したとも言われている。
造田城居館は首切り峠から県道を下って盆地に入った所が下造田の「備中地」と呼ばれる地区でこの辺りが造田城居館とみられる。
Posted by ビッグフット at 2008年08月16日 11:09
ビッグフットさん
ありがとうございました。
また一度お店に寄せてもらいます。(^o^)
ありがとうございました。
また一度お店に寄せてもらいます。(^o^)
Posted by 阿讃倶楽部 at 2008年08月16日 17:25