2016年03月26日
里山登山道の整備を考える
山道について考えてみたい。昨今の里山ブームでどこの里山も大賑わいで老若男女健康づくりに一役かっています。ジムで汗を流すのもわるくはありませんが、自然の中で体を動かすことは五感をフルに働かせることができます。それにほとんどの場合がタダです。野鳥のさえずり、四季折々に見せてくれる木々や草木の生命観、そんな出会いがあるのが山道を歩く喜びです。

この写真は数年前に切り開いた登山道です。かつて野山が生活資源を得るための場であった頃は縦横に踏み跡が張り巡らされていましたが、今はイノシシの独断場、そんな状況だったのですが開削に挑みました。歩くほどに地表が安定し今はしっかりとした登山道になっています。プライベート的な道で思索の山道といってよく、なんとぜいたくなことでしょう。時々遭遇するイノシシにはちょっとびっくりしますが。

さて、これは階段で整備された登山道です。見ての通り人は階段を避けて歩きます。それは脳が無意識のうちに楽な方に足を運ばせるからです。人間の身体能力は千差万別、大人子供、若年老年、筋力や歩幅体調と差があります。階段道は一意見歩きやすい(登りやすい)ように見えますが、それはどうしてもれが必要な場所を除き逆の効果をもたらします。なぜなら段を設けることで歩幅を強制され、自分の脚力と合わないことを脳が無意識に感じ取るからです。また降りはなおさらで膝を痛める、つまずきの原因となっています。登山の喜び、山道を歩く楽しさは自然の地形を踏みしめ自分に会った歩幅で歩くことにあるでしょう。登山道の整備というと一律に階段を設けることになりがちですが、歩いて登って下って楽しい山道であってほしいものです。
この写真は数年前に切り開いた登山道です。かつて野山が生活資源を得るための場であった頃は縦横に踏み跡が張り巡らされていましたが、今はイノシシの独断場、そんな状況だったのですが開削に挑みました。歩くほどに地表が安定し今はしっかりとした登山道になっています。プライベート的な道で思索の山道といってよく、なんとぜいたくなことでしょう。時々遭遇するイノシシにはちょっとびっくりしますが。
さて、これは階段で整備された登山道です。見ての通り人は階段を避けて歩きます。それは脳が無意識のうちに楽な方に足を運ばせるからです。人間の身体能力は千差万別、大人子供、若年老年、筋力や歩幅体調と差があります。階段道は一意見歩きやすい(登りやすい)ように見えますが、それはどうしてもれが必要な場所を除き逆の効果をもたらします。なぜなら段を設けることで歩幅を強制され、自分の脚力と合わないことを脳が無意識に感じ取るからです。また降りはなおさらで膝を痛める、つまずきの原因となっています。登山の喜び、山道を歩く楽しさは自然の地形を踏みしめ自分に会った歩幅で歩くことにあるでしょう。登山道の整備というと一律に階段を設けることになりがちですが、歩いて登って下って楽しい山道であってほしいものです。
Posted by woodsかがわ at 11:19│Comments(0)
│里地里山